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「お嬢様、今日はどちらまで?」

「メルヘン風車に お乗りになられませんか?」

「お話をしながら、お好みの場所まで 旅のお供をしますよ。」

「そうですか、杉本寺ですね。お乗りくださいませ、さぁ、出発しますよ!」

どうして杉本寺を 目指されるのですか?

「杉本寺が 鎌倉で一番古いお寺だと お聞きしたものですから」

「その通りです。鎌倉に2つある天台宗の寺院で 因みにもう一つは宝戒寺で すが 鎌倉では 一番古い寺です 境内にあがって 間近で仏像を拝観できる貴重なお寺です。では杉本寺のこと をお話ししながら 走りますね。」

「杉本寺は 奈良時代734 年 光明皇后の願により 藤原房前や 行基に開 山されました。本尊は三体の 十一面観音で 源頼朝寄進の十一面観音も 安置されています。 杉本寺の観音堂の上は 杉本城址です」。

「お城があったのですね。」

「はい、そうです。」

杉本城は、平安時代末期 三浦氏一族の 杉本義宗、(子は、後の和田 義盛、孫は朝比奈義秀)が 初代城主を務めた、六浦道を抑える要衝でし た。

茅葺屋根の山門を守る仁王像は運慶作
南北朝時代には、斯波氏が城主となりますが 南朝方の北畠顕家に攻められ 滅び、その石塔群が 本堂右に あります。
「杉本寺には三体の十一面観音が安置されていますが、その中の一体は行基 菩薩が彫られたもので、かつて馬に乗ったまま杉本寺の門前を通ろうとすると 必ず落馬したのですが、蘭渓道隆(らんけい どうりゅう、建長寺開山)が 行 基作の像の顔を袈裟で覆ったところ、落馬する者は いなくなったと言われてい ます。

このため 行基作の像は 「覆面・下馬観音」と 呼ばれています。

「なぜ、行基作の十一面観音様は 門前を通る人を落馬させたのですか?」

「そうですね、それでは その説明の前に 光明皇后の伝説から お話しします 行基の彫った 十一面観音は、光明皇后に 似せて作られました。 なぜ、皇后に似せて作られたのか?光明皇后は、奈良の大仏建立の時も、 一介の僧にすぎなかった行基を中心にすえた方で、行基も 光明皇后には
とても感謝していたからです。 光明皇后というのは、藤原不比等の娘でした。
藤原家だけではないのですが、当時は自分の娘を皇后にするために 沢山の 方との争いがあり、その犠牲になった方々を供養する為や、病人の治療の為 に 法華寺を建て、そこに今で申す、サウナのような「からふろ」を作り、千人の 民の汚れを拭うという 願を立てられたのです。千人目の人は 皮膚から膿を 出すハンセン病者で、皇后に 膿を口で吸い出してくれるよう 求めました。
意を決した皇后が 病人の膿を口で吸い出すと、たちまち病人は 光り輝く
如来の姿に 変わったという 伝説があります。
また、光明皇后は、都大路に並木を植えるに際し、貧しい人たちの非常食に なればと、モモとナシの木を 選んで植えさせたとも伝えられます。そんな平和を 愛する光明皇后を模った十一面観音でしたし それも当代一の行基菩薩と いう有名な僧が彫った観音様なので、皇后様の御霊が乗り移って、馬に乗って騒ぐ輩を見ると 争いを思い出されて、馬に乗る人を、落とされたと いわれ ております。
「ところで、十一面観音って どんな観音様ですか?」
十一面観音は 深い慈悲により 衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を 施す菩薩であるとされます。

一番後ろのお顔は、大笑面(だいしょうめん。悪への怒りが極まるあまり、悪に まみれた衆生の悪行を、大口を開けて笑い滅する、笑顔で 暴悪大笑面とも 申します。

いろんな表情の お顔をお持ちの 観音様ですが、 正面の 美しいお顔の真裏が、大笑いというのは、最後は 心配事や悩みを 笑い飛ばして 明るく元気に生きてほしいという願いが 表現されています。

この観音様を含めた、3 体の観音様には、伝説があります。 本堂が火事になった時に、3 体の観音様が、杉の木の根元に 歩いて避難 したというお話です。

「えっ、観音様が 火事の時に 自ら歩いて避難?不思議なお話ですね。」

「それでは、当時の様子を一緒に 見に行きましょうか」

 

人力車

「文治 5 年(1189 年)11 月 23 日の夜 11 時へ」
人力車に そう、告げると 目も開けられない位の 強い風が吹いてきて 気が付くと、星のキラキラ光る、夜の 杉本寺の前に 到着していました。

「人力車を ここに置いて、お寺の階段を 一緒に上っていきましょうか。」

「ほら、あそこに 旅人が二人 本堂の裏で、焚火をして暖を取っていますね。」

「その後ろに、小さな 男の子と女の子が いますね。」

「あの小さな子供たちは、こんな夜中に どうしたのかしら? でも、何だか 旅人には 見えてない様子ですね。」

「旅人が焚火を消して 本堂の下で 眠り始めましたね。」

「侘助兄ちゃん、栗を焼いて食べようか?」

「そうだね!玉代、お腹が空いたね」

二人は栗を 消えそうな焚火の中に入れました。すると、栗の実がはじけて、赤 い小さな火花が 本堂の方へ飛んで行ったのです。

「お兄ちゃん、本堂が 燃えだした!大変、どうしよう。」

旅人たちは、「火事だ!」と叫びながら 大慌てで、本堂の下から逃げました。

お寺の若い僧侶が 大慌てで、寝床から出てきて 水を汲みに行っています。 寝ていた村人たちも、目を覚まして 外へ出て火を消す手伝いを しています。

「兄ちゃん、どうしよう?」

「そうだ、観音様だけでも、運び出そう!」

「二人の子供たちは、燃え盛る本堂に入って 観音様を背負って、杉の木の根 元に 運んでいます。」

タイムスリップをしている 僕とお客様には 子供たちの姿は見えるのですが 若い僧侶や 村人たちには、この子供たちの姿は、見えないようです。

この子たちは お寺の中に住んでいた 座敷童だったからです。

この 運び出す様子を見ていた 僧侶や村人たちには、観音様が 歩いて 杉の木の根元へ 避難したように、見えたのです。 観音様を運び出す途中、この座敷童の着物にも火がついてパチパチパチパチ、 燃え始めました。

「侘助兄ちゃん!」

「たま代!」

二人は お互いの名前を呼びながら、 二つの 小さな種になりました。次の春には 赤い椿の花と 白い椿の花が咲い たそうです。二人は椿の木になって、杉本寺を 守ることにしたようです。 今も、杉本寺には、白い、「侘助椿」と、赤い、「赤玉椿」が咲いていますね。

「そろそろ、帰りましょう。空が明るくなってきました。人力車に乗って下さい。」

「2019 年 鎌倉 杉本寺へ」 そう、人力車に伝えると、強い風の中に巻き込まれて、明るい太陽のさした 現代の鎌倉 杉本寺の門前に 戻ってきました。

「あの子たちは、今も 杉本寺を 守っているのですね。」

「火事には なったのですが、僧侶や村人たちが、観音様が自ら歩いたという話 を みんなに伝えたので、有名な 今に伝わる伝説の お寺になりました。」

「あの座敷童の子は、椿の木になって、今も守ってくれているのですね。 椿の ぴかぴか光る青黒い葉は、あの時の 女の子の髪の色と、似ています。 あの子たちが 懸命に守った観音様を 私たちも 大切にしたいですね」
最後に、ここの 大蔵弁財天堂を ご案内します。

仁王門を入って 右にあります。 春には、鳥居の両脇にある 大きな椿の木に赤い花 が咲き、まるで 椿のトンネルのようです。

「でも、ひっそりとした 小さなお堂なのですね」

「そうですね。ここは、本当に 静かですね。」 鳥居を入って左の方に、水の湧き出る池が あります。

「深い緑色をした 水を眺めていると、心が 落ち着きますね」

古来より 杉本寺の弁財天をお参りすると 大きな蔵が建つ程 富に恵まれる という 言い伝えがあります。

「弁財天様は 富を与える人を、選ばれているそうです。 富は 皆のために使うと、ますます増えるとも 言われます。 弁財天様から 富を与えたいと思ってもらえる、そんな人間になりたいですね。」

また、一旦、持っている富を 失ったと思っても、その失った分より 大きな富が しばらくしてから やってくることが あるそうですよ。 富とは、お金ばかりとは 限りませんが。」

「そうですね、私にとって、メルヘン風車に乗れたことは 大きな富でした。 富って、得るものではなく、あとから 気が付くもの なのかも知れませんね」
「有難うございます。僕も、お客様の ますますの富をお祈りします。 メルヘン風車,「杉本寺の旅」 二の鳥居の前で 終点です。」

 

鎌倉メルヘンの旅とは

不思議な人力車を譲り受けた「ぼく」が 不思議なお話をしながら
鎌倉のまつわる名所をめぐる物語